2012年12月22日土曜日

がん告知を取り巻く状況の変化に想う ~スピリチュアルケア勉強会より

死にゆく患者の心に聴く―末期医療と人間理解今週木曜(12/20)に、月2回開催のスピリチュアルケア勉強会がありました。現在は、柏木哲夫先生のご著書、『死に行く患者の心に聴く』(中山書店)を抄読しています。柏木哲夫先生は、日本のホスピス緩和ケアの歴史を作ってこられた緩和ケア従事者では、知らない人はいないような、この分野の第一人者の先生です。

昨日読んだ一章は、“がん患者への告知”がテーマでした。ホスピスに入所してきた男性がん患者には告知がなされておらず、妻は告知には当初反対していました。しかし、残された時間のQOLをより良いものにするために、告知をすべきであるとの結論に達し、医師は、この男性患者に病名の告知を行います。ここで紹介されているのは、いわゆる“段階的な告知”のプロセスです。最初に、“あなたには腫瘍があるようです”という言葉を患者に投げかけます。その後、患者から、“それは悪いのですか?”という問いがなされます。医師は、“・・・かなり悪い”と返答。これに患者は自分の病気は“がん”なのでしょう?と。医師は、“・・・・そうです”、と答える展開。

しばらくして、今度は男性が予後について、“自分にはこの先の準備があるので、知っておきたい。あとどのくらいでしょうか?”と問います。医師は、“年単位ではなく月単位でしょう” と。“どのくらいか?”と患者が問うと、医師は、“数ヶ月でつらい波がくるかもしれない” その後、、今後は“1,2ヶ月が山でしょう”、と答えます。

柏木先生がこの本をお書きになられたのは、1990年代の前半なので、このやりとりは現在より20年も前のこと。抄読会では、20年前という時代背景も考慮して、現在だったらわれわれはどのように、同じ状況に対応しているだろうか、と話し合いました。20年前に私はまだ学生でしたが、あるディベート大会で、“がん患者に病名告知を行なうべきか否か”というテーマに関して、文献的なエビデンスを集めながら、議論したことをよく記憶しています。告知すべきかどうか、が議題になるくらいですから、告知派 vs 告知しない派、が二分していた時代です。

20年前と変わっていることと、変わっていないことがあることに気づきました。告知を取り巻く環境としては、私たち医療者は、以前に比べて格段に、悪い知らせを伝える(90%以上)ようになってきたという大きな時代の変化があります。がん告知が別段特別なことでもなくなった昨今、この本に書かれているほどの細心の注意と配慮をもって告知に臨むことは、少なくなっているとの反省が頭をよぎります。現在に比べてなんと細かい配慮をされているなあ、と感じたのは私だけではないはずです。

小出しに悪い知らせを段階的に伝える告知が日本人には向いているのではないか、とこの本の中で柏木先生は話しておられますが、その方が患者にとっては、心理的なショックも少なくて、受け止めもスムーズになるように思われます。

もう一つの疑問は、告知で婉曲的表現を用いるべきか、という点です。たしか、日本での告知関連の調査では、婉曲的表現を希望する日本人は少なくない、という結果があります。一方、婉曲表現のマイナス面として、曖昧な表現が病状認識のズレを助長しうる、という批判があります。

上記のような論点についてディスカッションするよい機会となりました。           (文責 関根)





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