2013年12月27日金曜日

第3回マインドフルネス勉強会報告

皆様、ご無沙汰しております。2013年も残りわずかとなりました。

遅くなりましたが、今月8日に開催した第3回マインドフルネス勉強会の報告です。今回も、高野山大学の井上ウィマラ先生を講師にお迎えして講義、実習(ボディーワーク)、グループワークを含む密度の濃い勉強会となりました。院内外から多職種医療者(看護師、医師、心理療法士、リハビリ療法士、薬剤師他)約30名が参加しました。

今回のテーマは、『生まれたことの意味、自分を大切にすることと生きる力』です。
まず、最初に参加者の自己紹介、ついでマインドフルネスの概論の講義があり、その後瞑想の練習でセッションが始まりました。続いて、一粒のレーズンを数分間かけて味わい尽くすというワークを体験しました。とても不思議な体験でしたが、その体験を文章に表現し、参加者がそれぞれに自分の体験を伝え合い、その個人個人の1粒のレーズンを食べるというマインドフルな経験をシェアし合いました。参加者一人ひとり、とても個性的な経験をすることになったようです。

次に、レーズンの気持ちと題して、自分が食べられるレーズンの気持ちになりきって物語をつくるという課題に挑戦しました。“私はレーズンです”。という文章から始まるそれぞれの物語。参加者はみなそれぞれに想像力を膨らませながら、“マインドフル”にレーズンの気持ちになり話を紡ぎました。
レーズンになった自分の気持ちを表現することは、もちろん参加者にとって初めての経験です。しかしながら、直近で、一粒のレーズンを数分かけて味わい尽くす経験をしていますから、そうした状況下では、自分の中ではレーズンの存在はとても大きなものになっており、さまざまな思いが脳裏に浮かび、自分がいざ人に食べられるときにどのような気持ちになるのか、思いをめぐらしながら、
自然に頭に浮かんだイメージを数分間の短い時間に紙に書きならべておりました。。。

さて、その後はグループワークで、それぞれのレーズンの気持ちを他の参加者に順番に発表する時間です。これまた自分の内的体験を他人に披露することになり、とても気恥ずかしく感じられましたが、その気恥ずかしさことが自分自身のコアな部分に触れているからこそ得られる体験であり、その自己存在を確認している作業こそ、しっかり味わうべき作業である、との先生のお言葉に納得。皆それぞれに自分自身の物語を紡いておられ、一人として同じ物語はないことがわかりました。そして、この物語には自分が考えている”自己”が表現されていることに、一同気づきました。意外な自分を見つけた人もいれば、すでに知っている自分にふれた人も。結果的に、嫌な気分を味わったり、驚いたり、うれしかったり、などと様々な感情が湧きだしてきました。自己を知ろうとする作業には、肯定的、否定的両面の複雑な感情が入り乱れてしまい、自分の未熟さを実感してしまいます。マインドフルネス瞑想では、この揺れ動く感情をも冷静に見つめる作業を大切にし、そうしたことに一喜一憂しない大切さを学びます。

今回のこのワークは“レーズンの祈り”と呼ばれています。確かにこのワークを通じて、これは食べるという祈りにも似た経験だったと実感できました。食べるという普段何気なく行っている生活動作一つを意識して行うことで様々な深い経験が得られました。また、私たちが生きていることはどういうことなのか、私という存在はどうして今ここに生きていられるのか、といったことに思いをめぐらし、非日常のゆったりした時間が流れていました。マインドレスに日々当り前に食べている現代日本人は、一度は皆こうしたワークを経験したほうがよいと感じたのは私だけでしょうか。

午後は、誰かから自分自身にかけてもらいたい言葉をまず思い描き、その言葉を、どのような声のトーン、強弱、抑揚などで声かけしてもらいたいかを細部に至るまで自分でシュミレーションするワークから始まりました。
講師の井上先生はこのワークの目的や意図については細かくはご説明になりませんでしたが、
他人を大切にする前に、私たちが忘れていること、つまり自分を大切にすること、を実感するためのワークであったと思います。私自身もそう感じるのですが、日本人はとくに、自分をほめたり、自分にやさしくすること、とくに他人の前でそういったことを行うのは照れてしまったり気恥ずかしかったりという気持ちが全面にでやすいですね。このワークの後半では、小グループに分かれ、それぞれが自分にかけたい言葉を披露し、他のグループメンバー全員からその言葉をかけてもらうというセッションになりました。
最初は、グループのメンバー殆どが緊張してぎこちない声掛けだったりしていたのが、慣れてくると
恥ずかしさの氷も解けて、一人ひとりの表情も和やかとなり、周りの仲間から好きな言葉をかけてもらえる幸せな時間を過ごす体験をしました。他人がかけてもらいたいだろうなあ、と思う言葉を
気恥ずかしいために、普段親しい関係でも声掛けしたりしていないことが多いものです。
周りの人を思いやることを心の中で行っていたとしてもそれを実際に態度に表現しないと相手には伝わらないものです。このワークを通じて、思いや気持ちを相手に声やジェスチャーで表現することの大切さについても学べたと思います。

今回の勉強会で出された井上先生からの宿題は、グループワークで一緒になったメンバーの顔を浮かべながら、毎日、その人にために今回挙げられたいくつかの言葉の実際に唱え、離れたところから各人にメッセージを送る(祈る)というものです。なんと素晴らしい宿題でしょうか?!
私達の周りの人びとが幸せになるように、気にかけて思いをめぐらし祈ることこそ、誰にもできる
自分にとっても周りの人にとっても幸せになるための基本的な行いではないでしょうか。。。
そういった忘れかけたことを思いださせてもらえる、すばらしい時間を過ごすことができました。

以上で第3回マインドフルネス勉強会の報告を終わります。
この会にご参加してくださった皆様ありがとうございました。最後に、井上ウィマラ先生、このたびの貴重なセッションのご指導をありがとうございました。
                                                    (文責 関根)







2013年11月7日木曜日

車の運転と医療用麻薬

みなさま

今日は、ちょっと変化球の話題です。
がん患者さんの痛みに医療用麻薬(オピオイド)が処方されることも、今や日常的となり、早期からの緩和ケアが実践されるようになってきました。これによって、最近ますます切実な問題となっているのが、がん患者さんの慢性痛でオピオイドが長期的に使用されている場合に、どのような状況であっても、車の運転をしてはいけないか、という問題です。運転を趣味にしているのならまだましなほうですが、仕事や生活に車の運転が必須な人は、決して少なくありません。痛みがひどいのに、なるべくオピオイドを処方しないで様子をみることになっている理由に、もしかしたら、車の運転ができなくなってしまう、という点も絡んでいる可能性も十分あると感じています。

医学的なことを言えば、慢性痛にオピオイドが定期的に同量が使用されているのであれば、事故につながるような運転能力の著明な低下はみられない、とされており、これは、緩和ケアの代表的な教科書、Oxford Textbook of Palliative Medicine 第4版 P690 に記載されています。

上記の教科書の内容が本当なら、日本でも運転してよいか、といえばそうとはなりません
それぞれの国の人々が作った法律の下で生きるのが法治国家の人間というものです。ですので、日本人は日本の法律を守っていきていかねばなりません。もし、その法律が理不尽だと思えば、それを変更しようと努力して、そのための世論を作るように努力をしなければならないでしょう。

現状では、どのような状況であっても、オピオイドを使用している患者さんが車の運転中に事故を起こしたら法的責任を逃れることは困難です。

自分には問題ないと思えても、事故で他人に害を及ぼす危険が少しでも上昇する可能性があるのですから、常識的に考えても、医療用麻薬の処方を受けている患者さんは運転を控えるべきと考えます。

こうした患者さんから医療用麻薬を飲んでいても、なんとか運転できるようにできないか、という質問があるので、私自身よい考えがないかどうかと、ここ数年ずっと考えてきましたが、患者さん側ではなく、生じうる被害者のリスクを考えると、現在の法律を変えることは現実的とは思えません。

いっそのこと、ここは発想を変えて、こうしたがん患者さんが無理に運転しなくても、安心して生きていける社会の在り方や仕組みをつくる努力をしていく方が建設的な対応だと思われます。

医療用麻薬のみでなく、運転能力に影響がでる可能性のある薬を慢性疾患治療のために常用している人の運転能力や事故時の法的扱いの在り方について、これからも活発な議論がなされることが望ましいと考えます。

(文責 関根)

2013年9月19日木曜日

H25年度第2回マインドフルネス勉強会報告

皆様、ブログの更新がしばらく途絶えておりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
今、夜空には仲秋の名月が輝いています。朝晩、ようやく過ごしやすくなってきましたね。

さて、今回は、先週土曜日に開催された、マインドフルネス勉強会の報告です。

高野山大学スピリチュアルケア学科 准教授井上ウィマラ先生の指導のもと、朝9時から夕方4時まで丸1日の内容の濃い研修会となりました。

今回のテーマは、『自らの家族関係を“mindful”に振り返り、気づきを得ること』でした。

最初に講義がありその後、各参加者が、自分の家系図を書く作業に入りました。
その後、グループワークとなり、各自の家系図を他の参加者に紹介するという、ちょっとなれないハラハラするような時間となりました。

なぜ、このような作業が必要なのでしょうか。私達医療者は、日頃当り前のように患者さんの家族について詳しく尋ね、そこからさまざまな情報を入手しますが、どのような気持ちで患者さんが
私達の問診にこたえてくださっているのか、などということはあまり気にしなかったりします。
自分の家系図を書くワークは、自分の家族関係を他人に紹介し、気恥ずかしさやつらさなども伴ったりする作業を経験し、患者さんが私たちの問診のときにどのような経験しているかを疑似体験できることが、その重要な目的でもあるのです。

その後、自分の家系図のなかでの重要と思っている人物を、〇や の形の紙で切り取り、それを机やヨガマットなどのゆったりとしたスペースの上でならべて配置するというワークに入りました。
これが、家族布置(コンステレーション)という作業です。
人数は各自によって異なりますが、自分自身を含めて、10人~15人程度までの範囲を選びます。講義の中で、家族布置(family constellation)といわれても何のことがわからなかったのですが、このワークを初めて、そういうことだったのか!と理解できてきました。

自分からみて、各家族(亡くなった方も含めて)の距離を、自由に思い浮かべながら、配置していく作業は、なかなかに趣があり、心を込めるほど、さまざまな思いが浮かんできます。
亡くなった人も、心の中では常に傍にいるようなケースもあり、その場合には、自分にぴったり寄り添って配置していたり、家族布置における距離には、生死の境界を越えたところがあるのです。

あれこれ考えた末に、この配置でいいだろう、という納得の布置ができあがったら、今度は他の人の家族布置を見て回り、お互いに感想を言い合いました。それぞれの人物同士の距離がぴったり寄り添っている布置の人や、反対に、とても距離があいている人同士の配置で、時には、ヨガマットからはみ出てしまっているような配置もみられました。家族関係(への見方や理解)がいかに人によって異なっているかをこれほどよく理解できる体験はないと思えるほどでした。

午後もこのワークは続きました。
亡くなった家族を含めて布置している参加者がほとんどでしたが、その家族を思いながら、自分とその家族との距離を、少しずつ広げていく作業が次のテーマでした。その故人を思い、目の前の布置の中での距離をmindfulに離していく作業の中で、離別体験を追体験し、その人との過去における関係性や現在におけるその人へ自分自身の思いを再確認するというワークです。

とても不思議な感覚に襲われました。自分という存在は、先祖がいたからこそ、この世に生まれていることを再確認しました。また、死別した家族との親しい過去を懐かしみ、つらかった過去を振り返り、その故人のことを思い、忘れないで大切に思いつづけたい、という気持ちや、感謝の気持ちが湧きあがてきました。

続いて、その大切な故人へ手紙を書く作業に移りました。参加者それぞれに、思いを込めて、祖先への思いをつづりました。手紙を封筒にいれ、テープで封をした後、一同、病院の前に広がる
海岸の砂浜へと繰り出しました。砂浜には、事務局スタッフがすでに直径75cm?x深さ70cm?ほどのちょうどいい大きさの穴を掘ってくださっており、そこに焚火がくべられました。参加者一人ひとりが、自分の書いた手紙を入れた封筒を焚火に投げ入れます。そして一人ひとり、手を合わせて祖先や今いる家族のために祈りました。参加者すべて順番に一人ひとり思いをこめて。。。。これが井上先生が今回工夫された研修会最後の“儀式”です。

井上ウィマラ先生は、この研修会の数日前からずっと、研修でのワークで引き出されることになる、参加者それぞれの強い思いや感情の揺れをどういう形で鎮め、この研修会を安心を得た形で終結できるのか、心を砕いておられたといいます。その結果が、この“儀式”でした。
この儀式がなければ、もやもやした感情を持ったまま家に帰ることになってしまうケースも想定されましたから、井上先生のご経験、感性に裏打ちされた、大変意味のある儀式でした。

参加者の感想としては、『自分自身の家族や祖先について振り返ることができて、大変貴重な時間を過ごした』、『自分のつらい過去を思いださなくてはならず、つらかったが、その作業を経て、
今の自分をより深く理解できたことや、自分を支えてくれる家族を実感できたことは有意義だった』などという、深~いコメントが寄せられました。

遠路研修会の指導でお越しくださいました井上ウィマラ先生、ありがとうございました。
次回のマインドフルネス勉強会は12月8日に開催予定です。
ぜひ、ご参加ください!
(文責 関根)



2013年7月22日月曜日

緩和リハビリの研修会報告

今月14日に、日本ホスピス緩和ケア協会(HPCJ)http://www.hpcj.org/
の年次大会があり、『緩和ケアとリハビリテーション』の分科会のファシリテーターを担当しました。

主にホスピス・緩和ケア病棟に勤務されている医師、看護師が多数参加され、リハビリ分科会にも90名弱の参加者が全国から集まりました。

まず、作業療法士協会理事の高島千敬先生(大阪大学付属病院)からホスピス・緩和ケア病棟におけるリハビリの実施状況に関する調査の報告がありました。

我が国の大多数のホスピス・緩和ケア病棟では、リハビリが実施されているものの、まだ十分に行き渡っているとは言えない状況にあること、医師も看護師もリハビリの重要性やニードを感じていること、家族からリハビリをしてほしいというリクエストが寄せられることがよくある、という結果でした。

続いて、リハビリ療法士の現場での取り組みとして、静岡県立静岡がんセンターの作業療法士 田尻和英先生と、聖隷三方原病院の理学療法士 緒方政美先生から講義がありました。
田尻先生のお話では、
・ホスピス緩和ケア病棟では、それ以前のリハビリ既往の有無を確認することが重要であること(リハビリを継続したい患者・家族のニードを見逃さないこと)
・スタッフ同士が顔を合わせて情報共有する大切さ
・関わるスタッフがリハビリによる成功体験を積み上げること
・誰がリハビリを提供するかが重要ではなく、協力しあい患者さんのQOLを支えるようにサポートしあうことが大切であること、

などの点が印象に残りました。

緒方先生のお話では
・患者のリハビリに関する希望の優先順位を明らかにし、その意向にそったメニューを検討すること
・実施内容に関しては、患者中心のアプローチのみでなく、家族が参加できるプログラムの調整も
 
 患者ケアのみならず、家族ケアの視点から重要であること
・聖隷と亀田で共同で実施したコホート研究で、緩和ケアで行うリハビリでは、ADLが下がってもQOLは維持されたり、向上する可能性が示唆されたことなど、理路整然とお話くださいました。

後半部のグループディスカッションも大いに盛り上がりました。代表的な意見としては、

・顔を合わせた緩和ケアスタッフとリハビリスタッフの意思疎通が不十分なこと
・ただ漫然とリハビリをしているが、患者のQOLに役立っているかどうかの検討が不十分なこと
・リハビリの算定は緩和ケア病棟ではできないが、可能な医療資源のなかでリハビリをやっていくには、看護師がリハビリと協力しながら、ともにリハビリアプローチを実践していく必要があること
・リハビリ療法士には、緩和ケアとはどういうものかをもっと勉強してもらう必要あり、看護師(医師)にはリハビリテーションについて勉強してもらう必要があり、ともに教えあい、学びあう姿勢が望まれること
・リハビリ療法士からの意見としては、緩和ケアのリハビリは敷居が高いところはあるものの、非常にやりがいはあるため、今後この領域で働く療法士は今は不足しているが、今後は数も増えていく見込みがあるとこと
・施設によって提供されているリハビリの内容も量も差が大きい。しかしながら、どの施設も、緩和ケアとしてのリハビリの重要性に気づき、今後も充実させていきたいと考えていること
・骨折患者を安全に管理したいが、患者が動きたい希望がある場合のリスク管理をどうするか、
より専門的な助言が緩和ケア病棟ナースにとって必要でありこのニードにこたえてほしいとのこと

などが出されました。

当院には緩和ケア病棟はありませんが、一般病棟の中で、緩和ケア目的のリハビリテーションを
積極的に実施しております。
これからも他施設と情報共有しながら、緩和リハビリのレベルアップを図っていきたいと思います。
(関根)






2013年7月14日日曜日

緩和ケア普及のバリア(がん治療医からの視点)

みなさま、毎日暑い日が続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?しばらくバタバタしており、ブログを更新できていませんでした。

日本緩和医療学会では、オレンジバルーンプロジェクトという緩和ケアの普及、推進活動を過去数年精力的に行なってきました。しかしながら、緩和ケアの普及には、緩和ケアにまつわる否定的な思いがバリアとなり、まだ十分に普及しているとはいえない状況です。

今回は、緩和ケアにまつわる様々な思いについて、考えてみます。

まず、がん治療医からの視点(緩和ケアチームの活動をどう見ているのか)はどうなっているでしょうか。私たちはがん治療医の先生方から緩和ケアコンサルトの相談を受けて緩和ケアサポートが開始となりますから、治療医が緩和ケアにどのような思いを持っておられるか、把握しておくことは非常に大切なことです。

がん治療医が緩和ケア(チーム)に相談しようか、、、と思いながらも、ためらう場合に感じていることには、以下のようなパターンがあるでしょう。
①『緩和ケアチームに相談しましょうと、緩和のことを持ち出すと、患者さんがそんなに病気が進行していると感じて、びっくりしてしまうだろう』 これは緩和ケアを末期ケアと捉えています。
こうした考えを治療医の先生方がもたれるのも無理はありません。実際に、私たちが、患者さんのところに伺うと、拒否的な反応を示される患者さんや家族も少なくないからです。“まだそんなに病気が悪くないのに、どうして緩和ケアチームなんかがここへやってきたんだ”、といわんばかりの冷たい態度の患者さんや家族もおられます。でもそのような、患者さんや家族の心情も病状の経過などを理解すれば、十分理解できることです。緩和ケアをどう考えるかは、物の考え方(価値観)の違いとも言えることなので、とやかく議論しないようにしています。ただ、“私たちが考えている緩和ケア”は、病状に関係なく係わるものであることを、機会があるたびに説明するようにしています。

①については説明の仕方の工夫がこれから必要であることを示しています。
日本緩和医療学会では、新しい説明文を募集しています。みなさんもよいアイデアを出してみませんか?
http://www.kanwacare.net/newphrase/


②『緩和ケアチームに相談しても、何がよくなるのだろう。主治医以外の医師や看護師が係わるとかえって患者さんや家族が戸惑うのではないか。。。。』これは緩和ケア介入効果についてまだ実感を持っていただけていない、つまりは私たちの力不足そのものです。数年前に、海外の一流雑誌でに発表されたのですが、米国の有名病院で、進行がんの患者さんに緩和ケア介入を行なった群と行なわなかった群で、生活の質や抑うつ状態を比較した臨床研究が行なわれ、緩和ケア介入群に軍配が上がる素晴らしい成果を示しました。まだまだ時間はかかりますが、日本でも同じような成果を積み上げれば、このバリアも克服できるでしょう。

③『緩和ケアチームに紹介したら、治療方針などに関して干渉されたりしないか。』
主治医チームとは別なチームが介入すると、主治医は治療方針の主導権を奪われるのではないか、と恐れてしまい、緩和ケアチームへ相談してもらえないケースも結構あると私自身は感じています。この懸念に関しては、全く心配ありません、と自信をもってお答えできます。
なぜなら、私たちは主治医チームのニードにそった介入を目指すからです。
最近では依頼を頂いた際に、どのような関わりや介入をご希望でしょうか?と依頼の意図をより具体的に把握するように努めています。
日本にはコンサルテーションの文化はまだ十分に根付いているとはいえない状況ですが、
守るべきルールがあり、コンサルテーションエチケットなどと呼ばれています。先月の日本緩和医療学会では、緩和ケアチームの手引きなる冊子を参加者全員に配布していました。一般公開されたら、こちらにも紹介したいと思います。

このテーマを次回以降も折にふれて扱っていきたいと思います。
(関根)




 


2013年6月11日火曜日

『城西国際大学安房キャンパス』訪問


 こんにちは。

突然ですが、現在、当科と当院の在宅医療部、がん地域連携室が合同で、とある『プロジェクト』を企画しています。


昨日、その一環として
『城西国際大学安房キャンパス』におじゃましてきました。




ここでは主に観光学部の学生さん400人(1学年100人)が勉学に励んでいるそうです。


行ってみて、まずびっくりしたのは、その環境。


明るくて長い廊下
窓からは『山と海』
廊下を挟んで全く違う景色を楽しめます。

校舎は木とコンクリを重ね合わせた、近代的なのにどこか温かみのある設計。周囲の深緑と、眼下に望む青い海は、ここはハワイかと思わせるようなリラックス感を醸し出していました。


開放的な食堂。
階段使ってウェディングパーティーもできそうです。
一般の方も利用可能だそうです。
(ウェディングパーティーはわかりません)

教室を出た廊下のど真ん中にもこんなかっこいい
吹き抜けが。外と繋がってます。

屋上からみた鴨川湾
毎年元旦は、初日の出を見たい人のために一般開放しているそうです。

上の写真のもう少し右がLA、マレーシアです。
我々も異国の地に思いを馳せました。


学生さん達も、この恵まれた環境の中で、きっと素敵な学生生活を送っているのでしょう。



さて、一体どんな企画なのか、その詳細についてはもうしばらくお待ちください。


『◯◯◯』x『緩和ケア』x『在宅医療』



必ず成功させたいと思います。


それでは。


案内してくださった事務長様や関係者の皆様に心から感謝を申し上げます。
ありがとうございました。

































2013年6月8日土曜日

在宅緩和ケア普及のバリア まずはブレインストーミングから。

今月1日に第22回滋賀緩和ケア研究会で、病院における緩和ケアと地域における緩和ケアのつながり、というテーマでお話させて頂く機会がありました。
http://jpps.umin.jp/course/file/130601_shiga22.pdf

在宅看取りがどうして増えないのか、については様々なところで議論がなされています。
8~9割のがん患者が急性期病院で最期を迎えている現在、この数字を減らして在宅看取りを増やす(現在の7%程度から、20%程度に?)、と政府や在宅緩和ケア関係者はお題目のように唱えていますが、はたしてそれは現実的なことでしょうか?

私たちは自身の家族(両親など)のために自ら仕事を休んで、自宅介護で看取ることは果たしてできるでしょうか?自分ができそうもないことを、他人に強く勧めるということは、倫理的にどうなのでしょうか?他でもない、親の看取りとあらば、仕事を長期間休んでも自ら在宅で家族の世話をする決断をする医療者はおそらくかなり少数派ではないでしょうか。在宅医療の問題は、まず自分が当事者ならどうするか、という視点を持って考えることが大切だと思います。

高い目標を挙げることは結構ですが、まず、それぞれの医療圏の関係者が、在宅緩和ケアの実績や現状がどうなのかを知るところから始めなければならないでしょう。

当院がカバーする安房地域の人口あたりの在宅看取り数は県内で群を抜いて高く、2008年の統計では、千葉県平均(人口10万人あたり約17人)の4倍近くの実績(人口10万人あたり70人以上)があります。安房地域の高い高齢化率を差し引いても、在宅看取りが他の地域より普及しています。

当院には併設の在宅医療部が、館山には亀田ファミリークリニック館山があり、それぞれのスタッフが、南房総地域の在宅緩和ケアの多くの部分をカバーしています。当院以外にも、有床診療所として専門的な緩和ケアを提供されている花の谷クリニックをはじめとした、緩和ケアに熱心な地域医師が数多く存在します。このように、恵まれた医療資源の存在によって、県内一の在宅緩和ケアの普及が達成されていることは明らかです。

このように、千葉県でもっとも在宅緩和ケアが普及、浸透した安房地域にあっても、当院の緩和ケアチームは決して現状に満足してはいません。改善策を講じるためには、在宅緩和ケア普及へのバリア因子を同定し、その各々に対する介入プランを立てなくてはなりません。

この講演会では、このバリアを6つの側面から分けて以下のように列挙してみました。
①在宅緩和ケアの医療資源不足(地域偏在)
②病院側のシステム面の問題
ソーシャルワーカー不足
マンパワーを手厚くする余裕がない
医師が抱える業務が多すぎる
“早期からの緩和ケア”が行える仕組みがない
早期からの緩和ケアに関する理解がない
経済面の影響についての検討が未実施
患者満足度への影響についての検討が未実施
③がん治療病院と在宅施設の連携関係が薄い
連携するべきメリットを感じていない
互いの診療内容を理解していない
④病院医師(医療者)の言い分
時間と労力を使って在宅医療につなげる体制がない
患者を良く知らない在宅医に任せるのは、無責任だ
安心して任せられる在宅医を知らない。
在宅医療の希望を主張する患者(家族)は多くない
在宅看取りを勧める根拠や確信がない (家族や親戚の在宅看取り経験がないので、 患者(家族)へ積極的に勧める動機づけもない)
⑤在宅医側のバリア
24時間365日拘束で終末期がん患者の看取りをする体力がない(単独開業医の高齢化)
がんの看取りをしなくても、収入面で困らない
がん患者の困難症状に対応できない
がんの痛みのケアなどに慣れていない
オピオイド処方に慣れていない
症状悪化時の入院保証がない
⑥患者(家族側)の因子
介護力がない(老老介護、複数人介護)
家族に負担をかけたくない。(医療者方が気楽)
介護士のマンパワー不足
介護休暇がとれない(休むと解雇?)
病状急変時にどうしたらよいか分からない
病院の方が安心
そこまで自宅に愛着はない
近所の目が気になる
施設で最期を過ごして何が問題なのか分からない
自宅死を積極的に希望する理由がない
 
沢山のバリア因子があり、うんざりされたことでしょう。改善可能な因子と、なかなか難しそうな因子の両方が存在します。上記のバリア因子の中から、明日からでも始められそうな介入があれば、まずはそれを実践してみることから始めてみてはどうでしょうか?上記の一つ一つのバリア因子自体が、様々な議論を要するテーマになりうるものです。これから、このバリア因子の中から特に興味のあるテーマを取り上げて、個々にその内容について吟味していきたいと思います。
(関根)
 
 











2013年6月6日木曜日

機械式PCAポンプが普及しない理由

みなさん、PCAポンプを知っていますか?
Patient Controlled Analgesia (患者自己管理鎮痛法)の頭文字をとってPCAといいます。

このPCAには3つの設定モードがあります。
1.持続投与時間 :患者さんがボタンを押さなくても、自動的に投与される1時間当たりの薬の量
2.レスキュー量(PCAドーズ):患者さんがボタンを押したときに投与される薬の量
3,不応期(ロックアウト):1回薬が投与されてから、次にボタンを押して薬が投与されるようになる 
                までのロック時間。通常10~20分の設定が用いられる。誤ってPCAボ
                タンを押し続けても薬が投与されないようにする安全装置。

機械式PCAポンプは、上記の1,2,3を自由に設定できるため、シリンジ式PCAよりもより
フレキシブルなPCA管理が可能となります。当院では、35台をME室で管理してもらい、常時15~20台程度が稼働している状況です。

私が当院に赴任したのが、2007年2月ですからもう丸6年が経過しました。機械式PCAは当時から当院には存在しましたが、数台稼働している程度の利用でしたから、ずいぶん処方数が増えたものです。

当院のような、がん診療連携拠点病院では、より侵襲性の高いがん治療を行いますから、患者さんにとって負担の強い(苦痛や痛みが強い)治療の頻度も多くなります。この場合、治療と併行したより良い痛みのサポートを行うこと(強固なサポーティブケア)が、必須条件です。機械式PCAはそのために必須なアイテムですし、現在、当院に勤務する多くのがん治療医も同感だと思います。

2007年当初は、緩和ケア科が全てのPCAを処方していました。しかしながら、夜間や緊急的に対応が必要なケースにまで全ての症例に対して、緩和ケア科が自らPCA処方対応することは現実的ではありません。そこで、当院では緩和ケア科がPCAポンプの利用マニュアルを作成し、それに沿って、がん診療科から必要時に自由にPCAを処方してもらっています。その結果、6年経過した現在では、PCA処方はその殆どが各診療科医師によって始められる状況にまで、普及、浸透しました。

各医師が自由にPCAを処方していて、安全面の担保は大丈夫か?、という指摘もあるかと思います。週1日、オピオイド処方を受けている全患者をカルテ上でチェックしていますので、リスクの高いPCA処方に関しては、このオピオイドサーベイランスでチェックするようになっています。ただ、これだけでは十分に安全性が確認できているとは言えず、この点については、最近発足した院内緩和ケア運営委員会で話し合う予定です。

このようにがん治療に必須である機械式PCAなのですが、残念ながら、日本全国を見渡すとこの機械式PCAポンプは普及していません。どうしてなのでしょうか?この最大の理由は、おそらくコスト面にあると私は感じています。

機械式PCAで用いる使い捨てタイプのプラスチック製の薬液カセット代は病院持ち出しであり、1カセットあたり、3000~5000円もするということを皆さんご存じでしょうか?麻薬注射剤の薬液量をどの程度頻回に交換するかによりますが、毎日交換となると、毎日3000~5000円が病院からの持ち出し(純支出)になってしまいます。これでは、機械式PCAのメリットを理解していたとしても、積極的に利用する施設が増えないのも理解できますね。なんとか、この状況が早く変わってほしいと思っています。

幸い、緩和ケアチームがPCA利用患者に関わる場合では、緩和ケアチーム診療加算がとれる施設であれば、1日あたり400点の加算がとれますので、カセット代程度はまかなえることになります。現時点では、緩和ケアチーム加算を有効に利用する他には、機械式PCAのコストをまかなう方策は見あたりません。

痛み医療の向上には、コストもそれなりにかかりますから、我が国が痛み医療の全般的な向上をめざし、その対策を本気で議論するのであれば、それに見合う金銭面での改善策も不可欠です。
(関根)




2013年6月4日火曜日

病院から地域へ〜啓発キャンペーンをどう企画、運営するか〜

昨日のDr.Moodyとのセッション


当科の今年度の行動目標の一つ



『地域啓発』



をテーマに話しました。




どんな内容を啓発するのかというと、


Autonomy(自主性)



医療場面における自己決定



広く言えばHealth decision




特に、私たちが多く関わるような場面で、



万が一の事態に陥った場合に、



全てをその場の医療者に任せるのではなく、



自分のことは自分で決める。



あるいは決めておく。




それを誰かに伝えておく。



元気な今は



考えたくないかもしれないけれど、



明日のことは誰にもわからない。



だから今、少しだけ考える



そのきっかけになるような



そんなキャンペーンにしていきたいと思っています。



Dr.Moodyも興味津々といった感じで、



アメリカやUCSFの体制なども交えつつ、



まず活動の目的(ゴール)を明確にすること



その上でそれに最適なストラテジーを考えること



そんな内容をわいわい話し合いました。




とても良いブレインストーミングができました。


啓発に使えそうな面白いツールもいくつか教えてもらいました。



その紹介はまた次回ということで。



それでは。











2013年5月30日木曜日

医療用麻薬が基幹病院の薬局にない?!

今日は、先日実際にあった話を紹介します。

ある外来患者さんを、自宅近くから通えるように近隣施設へ紹介したときのエピソードです。

フェンタニル貼付剤が必要な患者さんで、その管理も含めて、継続フォローの依頼をお願いしました。地域の基幹病院の外来を紹介したので、とくに問題発生などないと思っていました。ところが、予想外の問題が発生していたことを、後に再び外来に現れた患者さんから聞いて知りました。

なんと、フェンタニル貼付剤の一人分の処方量が病院にない!ので、近隣のありとあらゆる薬局に連絡をとって、おそらくその地域のほぼすべてのフェンタニル貼付剤をかき集めて、漸く必要量を確保できたのだとか、、、。

そんなこともあってか、この患者さんはまた私の外来に戻ってこられました。

病院の薬剤部としては、管理が面倒な医療用麻薬の在庫をなるべく減らして、日々業務を行っていることは理解できます。しかしながら、地域の基幹病院内の薬局なのに、1人分のフェンタニル貼付剤の処方量の在庫がない、というのは私にとっては、嘘でしょ!と叫んでしまうほどのショックでした。

麻薬の消費量は、米国のように、多ければ多いほどよいというのではありませんが、がん疼痛管理を反映する数少ない指標の一つとされています。日本はつい最近、お隣の韓国にさえ、麻薬消費量で追い越され、先進国の中では最低レベルであることは有名です。

麻薬を使用している患者を、ある施設から別の施設へ紹介する場合に、こうした事態がたびたび生じるようでは、安心して患者紹介を行える状況にない現状を思い知らされました。
痛みの医療に問題が山積していますが、こうした麻薬の管理や運用面でも改善に向けた取り組みが必要です。

(関根)

2013年5月28日火曜日


5/10 DPMPCジャーナルクラブより

Randomized controlled trial of a video decision support tool for cardiopulmonary resuscitation decision making in advanced cancer.

 2013 Jan 20;31(3):380-6. doi: 10.1200/JCO.2012.43.9570. Epub 2012 Dec 10.





論文の要旨は以下。
進行癌患者さんに対して

「もしも心臓が停止した場合に心肺蘇生法を希望するか否か」について

その意思決定を支援するための『ビデオ』の効果を調べた。

4つのがんセンターで150人の進行癌患者さんに対して研究を行った。

(150人中)80人は言語による心肺蘇生法と救命成功率について説明を受けた

残りの70人は同じ説明を聞いた後、模擬患者に対して行われる心肺蘇生法や人工呼吸器について3分間のビデオを見た。

結果どうなったかというと、

説明のみのグループでは38(48%)が心肺蘇生法を希望、41(51%)が希望せず。

ビデオを見たグループでは14(20%)が心肺蘇生法を希望、55(79%)が希望せず。

この研究は、あらかじめ患者さん本人が1年以上生きられないと説明を受け、理解できている人に対して行われている、という点が日本の現状とは大きく異なる点です。
この研究が行われたアメリカでは、自分自身で意思決定を行うという文化的背景があります。より良く生きるために、納得のいく選択を行う。

それを支援するためのツールとして、口頭での説明よりも視覚的イメージがあった方がより効果的、という、結論としては納得いく研究でした。

正しい情報を得て、もしもの時に備えて元気な時から自分の意思を話し合うことで、より良く生きることが出来るのかも知れません。(濱口)

2013年5月23日木曜日

腫瘍内科との症例検討会

昨晩、腫瘍内科の若手医師のみなさんに招かれて、患者症例を含む緩和ケア関連の日頃の疑問の解決を目的として、Q&A形式でディスカッションを行いました。

私が赴任した6年前、当院の腫瘍内科には医師は、2名しかいませんでした。ところが、現在は、ローテーターも含めると医師数は10名に届くような一大勢力になっています! 
今年入職された先生方も多く、オリエンテーション的な質問内容も含め、ざっくばらんな楽しい時間となりました。簡単な自己紹介ののち、以下のような質問項目等について話し合いました。

質問1.当院では、専門的緩和ケアを受けたいと希望した場合にどうすればよいでしょうか?

答え:亀田には緩和ケア病棟はつくらず(作ることができず)に現在に至っています。一番の問題は看護師が足らないことです。看取りを当院で行うケースでは、主治医チームと併診の形で、緩和ケア科(チーム)がサポートさせてもらっています。

質問2.緩和ケア科(チーム)に併診してもらったときに、どういうプラスのケアが可能でしょうか?

答え:症状のコントロールについては、主治医チームのスキルも最近は向上しつつあり、緩和ケア科の介入が必要ない症例が多くなっている印象もあります。ただし、主治医ではなく、第三者である緩和ケア科(チーム)の介入によって、より俯瞰的な立場から、患者さんや家族にとって最良のケアや、困っていることへのサポートを追加することができたりします。
また、どういう治療ゴールを選択されるのがよいのか、主治医チームが煮詰まっておられるような場合にも、第三者的な立場で、患者さんや家族の意思決定の支援を行える場合があります。
さらには、スピリチュアルな悩み(答えがでないようなつらさ)について、主治医チームのスタッフが対応に苦慮されている場合などでも、医療的な内容の詳細な検討を離れて、より患者さんの生活の視点から、具体的なサポートを提案することができたりします。
お気軽に、緩和ケアチームにご相談ください。

質問3 予後が極めて厳しい患者さんで、ご家族の悲嘆が大変強い方がおられます。担当医として蘇生しない(DNAR)ということの説明を今現在、事前に行うことは、教科書的には必要だと理解してはいる。しかしながら、悲しみのどん底にいるこの家族に、DNARの説明をすることは、心情的な負担を与えてしまうため、家族のつらさを想像すればするほど、できなくなってしまいます。家族が患者さんの死をどうしても受け入れられないこのような症例で、心停止したら、マスク換気のみ行い、そういう行為によっても患者の蘇生は困難であることを実際に見せることで、家族にその現実を受け入れてもらうという対応は、ありえることでしょうか?

回答:患者さんのご家族の心情を察すると、DNARのコード確認の作業を行う行為そのものが、家族の気持ちに対して、侵襲的であると思えてできなくなってしまう、ということは、多くの臨床医が経験してきたことだと思います。ただ、がん(悪性腫瘍)の看取りにおける心停止時に心肺蘇生を行っても、その救命率はほぼ0であることが示されています。よってこの行為は医学的に適応がない、ということです。蘇生できないと分かっていながら、みせかけの蘇生行為を行うこと(slow code)は、現在の臨床医学では、むしろ、倫理的に問題が多い行為であるとみなされています。
なぜなら、結果的に蘇生できないと分かっていながら、それを行うことは、やはり、患者に対する
嘘であり、誠実な医療行為とはみなされないからです。また、蘇生ができないと分かっていながら行うみせかけの行為によって患者さんの体(すでに死亡に至っている)を痛めつけることは、害の多い行為とみなされます。

そうかといって、家族のつらさを放置してよいわけでもなく、悲嘆のレベルが強い複雑性悲嘆の家族に対するケアを行うことによってこの問題に対応すべきです。そうしたお手伝いも緩和ケアチームの仕事の一部です。

まだまだ質問が続きました、ご紹介はこの辺まで、、、。
またご要望にそって、このようなカンファレンスを継続したいと思います。

(文責 関根)







2013年4月22日月曜日

UCSF Dr. Dhaliwal との教育セッション

本日は、当院の米国人教授のDr. Moodyが一時帰国中に来日されている、UCSF 一般内科Dr. Dhaliwal との教育セッションがありました。Dr.Dhaliwalは、あのティアニー先生の直弟子でもいらっしゃる先生です。

『終末期の鎮静』をテーマに、症例呈示からディスカッションを行いました。ディスカッションのポイントとして、家族が鎮静に反対する場合に、どのようにコミュニケーションをとるべきか?について、意見交換をしました。興味深いことに、この場合の対応の仕方が日米で異なることが、分かりました。

 今回提示した症例では、家族が一応の納得をされるまで、じっくり時間をかけて対応したため、間欠的で浅い鎮静から開始し、十分な鎮静レベルが達成されるまでに2週間の期間が経過していました。私達はこの2週間を、家族が患者との別れを受け止めるための悲嘆のケアの時間として、重要なプロセスであったと受け止めています。

一方、Dr. Dhaliwalによると、米国でも日本同様に家族が終末期の鎮静に反対した場合、典型的な対応としては、まず、反対する家族の思いを傾聴し、医療者側から出来る限りの説明は行います。しかしながら、苦痛のレベルが待ったなしの極めて強い場合では、必要以上の時間を家族への説明や納得のためには使わず、あくまでも本人の苦痛を最優先に考えて対応し、待っても1日、2日のみとのことでした。医療倫理の4原則でいう本人の自律性尊重(autonomy)最優先の考えです。
では、家族ケアは行わないのか、というとそうではありません。患者が鎮静管理となってからは、今度は、家族ケアをメインに行っていくといいます。

米国でもアジア系の患者は、程度の差はあれ、家族の意向を考慮する度合いが高くなるとのこと。患者の異なる文化背景の多様性を重んじること(cultural competency)が重要となります。

引き続き、話題は、事前指示の現場運用の難しさについてに移りました。患者の意向にそった医療を実践するには、事前指示の基となる患者の大まかな治療に関する価値観や死生観について、主治医や他の医療者が理解していることが最も重要であるとのことです。

元気なうちから細部の治療について、希望するか、しないか?、と問われても一般市民も理解できません。だからといって、医療についての希望内容を事前に全く聞いていないのも問題です。ならば、患者の意向の大枠をまず押さえよということですね。

事前指示の普及活動を、これから市民を巻き込んでどのように展開すべきか、様々なところで議論されています。上記の内容はとても示唆に富むポイントです。

Dr. Dhaliwalを囲んで。
即興でホワイトボードを使いながらのディスカッションはまさにティアニー先生を彷彿とさせるものでした。Dhaliwal先生、症例提示を担当してくれたリハビリテーション科の今井先生、ありがとうございました。

2013年3月29日金曜日

“リハビリセラピスト向け”『がんリハ』本の紹介

『がん患者のリハビリテーション~リスク管理とゴール設定~http://www.amazon.co.jp/がん患者のリハビリテーション−リスク管理とゴール設定-宮越-浩一/dp/4758314691/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1364520472&sr=8-2



帯には『これからがんリハを学ぶ人のための実践書!!』と書かれてあり、その点で日本ではまだ数が少ない、待望の一冊です。主に当院リハビリテーション科や当科、腫瘍内科のスタッフが執筆を担当しました。以下、内容を少しだけ紹介します。

 




『なぜ、がんなのにリハビリテーション?』

緩和ケアの大きな目標の一つは、QOL(クオリティオブライフ)の向上(or 維持)とされています。『リハビリ』は、この目標を達成するためになくてはならない選択肢の一つです。我々の業界ではもはや『常識』と言っても過言ではないでしょう。


『セラピストにとっては常識なの?』

緩和ケアの世界では『常識』でも、リハビリテーションの世界ではどうでしょうか。
実は、がんのリハビリテーションは歴史も浅く、エビデンスの形成もまだまだ不十分な状況です。標準的な治療指針の構築も発展途上の段階にあり、もちろんセラピストの養成校においても『がん』に関する教育は十分とはいえないようです。
では実際のリハはどのように提供されているのでしょう。おそらく施設ごとあるいはスタッフごとの独自の判断の下に実施されていることが予想されます。
この状況で、特に新人のセラピストさんにとっては、得体の知れない『がん』患者さんのリハ依頼はある種『恐怖』なのかもしれません。


『適切な“がんリハ”を提供するために

大切なことは、適切なゴール設定とリスク管理です。しかし、がん患者さんの場合、それがなかなか難しい。

なぜか?

どうしたら適切なゴール設定ができるのか?

リスク管理のポイントは?

それを知りたい方は、ぜひ本書を手にとってご覧ください。これから『がんリハ』に携わるセラピストの方々にとって少しでも役に立つことができたら幸いです。





2013年3月19日火曜日

3月2日房総がんケアフォーラムのご報告②


こんにちは。前回お伝えしたフォーラムの報告の続きです。

第二部では、
千葉大学大学院看護学科研究科エンド・オブ・ライフケア看護学特任教授長江弘子先生~自分らしく生きるために―あなたはどんな医療や介護を受けたいですか?―~

『エンド・オブ・ライフケア』って診断名、健康状態、あるいは年齢に関わらず差し迫った死、あるいは、いつか来る死について考える人が、生が終わる時点まで最善の生を生きることが出来るように支援すること
患者とその家族と専門職者との合意形成プロセスであり、
1)その人のライフ(生活や人生)に焦点を当てる。
2)患者・家族・医療スタッフが死を意識したときから始まる
3)患者・家族・医療スタッフが共に治療の選択に関わる
4)患者・家族・医療スタッフが共に多様な療養・看取りの場の選択を考える
5)QOLを最期まで最大限に保ち、その人にとっての良い死を迎えられるようにすることを家族(大切な人)とともに目標
そのためにな、病期としてではなく、自分の生の一部としてエンド・オブ・ライフについて考え、周囲の人、大切な人と語り合う文化を作り出すことが重要である
Izumi.S,Nagae.H,Sakurai,C&Imamura.E(2012),Defining End-of-life care from the perspectibe of nursing ethics,Nursing Ethics 19(5),-818 2011年
エンド・オブ・ライフケア看護学による定義


その人にとって最善とはどういうことでしょうか?
その人らしい生き方とは?
自分らしい生き方って?
皆さんは自分自身に問いかけていますか?

これは医療者も同じで、「他人事」ではなく「自分の事」として考えなければいけないことです。
これらのプロセスは、一人で考えるのではなく、周囲の人、
大切な人と語り合う文化を作り出すことが重要であり、
日々の生活の中で培われる人とのつながりから
共に生き、共に年齢を重ねることの尊さを学び伝えていくこと』が大切であると話されていました。

誰にでも死は訪れ、老いていくのです
全ての人がエンド・オブ・ライフを自分らしく生きるために、大切な人をその人らしく見送るために
いつどんな状況になるか誰にもわからないからこそ、
日々考えて周囲に伝えておくこが大切です
(文責 千葉)

2013年3月12日火曜日

3月2日房総がんケアフォーラムのご報告①

こんにちは。
3月2日に第5回房総がんケアフォーラムを開催しました。
今年度のテーマは
人生の最期について考えてみませんか?」です。

ストレートなタイトルだったので当初は地域住民の方々に参加していただけるか心配でしたが、結果として総勢70名(医療関係者は20名弱、ほとんどが地域の方々)にご参加をいただきました。また、参加年齢層も20歳代~80歳代と幅広く、関心の高さを実感しました。
これには昨今話題の『エンディング・ノート』や、この話題がマスコミでも多く取り上げられるようになったことも影響しているのかもしれません。

最初のセッションでは『人生の最期をどう支えるか―事前指示と生命倫理―』というタイトルで、亀田医療大学看護学部の足立智孝准教授にお話いただきました。

事前指示とは『人々が意思決定能力を失った場合の、治療に関する選好を表明する口頭または書面による意思表示』と定義されています。(フィッシャーら、2007)

事前指示には以下の二つの類型があります。
(1)代理氏名型:患者本人が予め、自分が意思決定できなくなる前に、自分の代わりに意思決定してもらう人を指名
(2)内容指示型:「口頭」で指示する場合と「文章」に書き記す場合がある⇒「事前指示書」=リビング・ウイル(=生前遺言)

(2)の例として、日本尊厳死協会(現在国内で12万人以上の会員数)による『尊厳死の宣言書』があります。また国立長寿医療センターでは『私の医療に対する希望(終末期になったとき)』という書面記載形式の事前指示書を使用しています。

このように日本でも広がりつつある事前指示ですが、現時点では法的な拘束力がありません。また日本では、従来から『自己決定』より『家族の決定』を重んじる傾向があるため、より一層事態を複雑にしていると思われます。


勘違いされやすいのですが、事前指示書は一度書いたからと言って取り消せないものではなく、何度でも書き直すことができます。
『その状況』になって初めて気づくこともあるため、揺れ動く気持ちに寄り添いながら意思決定支援をしていくことが看護師の役割となると私は思いました。


話を聞いた参加者からは、
・どこにいけば『事前指示』の相談にのってもらえるのか?
・どんな書き方をすればいいのか?
など、具体的な質問が出されました。

また地域の医療関係者からは、
「地域の利用者さん?たちには、まだ事前指示を確認するのは早いと思って積極的に言ってはこなかったけど、『どう過ごしたいのか』という視点で考えると、早い段階から考えていただくことが大切であると思いました」といった感想も出されました。


普段はなかなか口に出しずらいことかもしれませんが、
『自分が自分らしく過ごすために』
『どのようにして最期まで生き抜くか』
という視点で、
『もしも病気になったときはこうして欲しい』
という意思を伝えておくことが大切であると思います。
(文責 千葉)



2013年2月26日火曜日

緩和ケア外来におけるALSへのサポート

皆さん、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気をご存知でしょうか。

いわゆる神経難病と呼ばれる疾患の一つです。現在のところ、根本的な治療法がなく、進行性に運動神経の麻痺が進行していくために、上下肢の筋力のみならず、嚥下や呼吸の筋力も障害されてしまう、非常に難しい病気です。

このたび、安房健康福祉センター(安房保健所)で、難病支援事業の会議があり、その会議に参加する機会がありました。

当院では、ALSといえば疾患の診断から外来通院中は、神経内科が担当され、その後、外来通院が困難になれば、在宅医療部に療養の場を移して、加療、ケアがなされてきた経緯があります。そして、私達、緩和ケア科では、ALSに関わることが殆どありませんでした。しかしながら、当院の緩和ケアチームの理念は、疾患によらず、痛みやつらさの強い患者さんのサポートを行なっていくというものであり、当然ALSのような神経難病に対しても(どのようなサポートができるかどうかは未知数であっても)、可能なサポートを行なっていきたいと思っています。特に、外来通院中におけるメンタルサポートに関しては、なにかしらのサポートができると思っています。

そのように思っていたところ、昨年末より、安房地域の保健所や保健士の方との連携、そして神経内科の主治医の先生方のご理解を得て、ALSの方が少しづつ緩和ケア外来にお見えになられるようになっています。ただ、治療法がないこの疾患に対してどのような支援が私たちにできるのか、私たちが関わることで客観的に何かプラスのことがあるかどうか、はまだ不明です。

これから試行錯誤ではありますが、主治医である神経内科、リハビリ療法士、保健所、そしてALSに詳しい院外の専門家、ALSをサポートする支援者の皆さんらと連携して、サポートしていきたいと考えております。私達の支援内容によって、患者さんや家族のQOLがどうなるのかについても、できれば調べることで、支援内容のレベルも上げていきたいと思っています。

ALS患者へのメンタルサポートといってもピンとこない方も多いかもしれません。そういう方には、ぜひALSの専門家である、コロンビア大学の三本先生が書かれた以下の記事をお読みになってください。
http://www.als.gr.jp/staff/mental/support1/support1_01.html


今回、保健所で開催された難病支援事業の委員会で、神経内科医対象に、神経難病の緩和ケア研修会が初めて開催されたと伺いました。これからは、神経難病などの、神経内科疾患に対する緩和ケアのニーズが少しづつ高まってくるに違いありません。ALSの疾患に関する専門家である神経内科と、死に瀕する患者のつらさの緩和が専門である緩和ケア科が協力してよりよいケアが実践できるようにしたいものです。

ALSの患者さんは在宅で最期を過ごされることが多いため、ALS患者、家族が経験する様々なつらさや苦しさの実際やそのケアのあり方に関して、当院で最も詳しいのは在宅医療部、地域支援医療部のスタッフの皆さんです。私たち緩和ケアチームはそうした在宅医療部、地域支援医療部の皆さんのこれまでの蓄積された様々な経験からも様々なことを教えて頂き、入院や外来におけるALS患者さんへのサポートについて底上げする活動をしていきたいと考えています。
(文責 関根)




2013年2月19日火曜日

第5回房総がんケアフォーラムのお知らせ




3月2日(土)に第5回房総がんケアフォーラムが開催されます。

医療者だけではなく、地域住民の方と一緒に
『より良く生きるためにはどうすればいいのか』
を考えるひとつのきっかけとなれば…と始めました。


今回のテーマはストレートに
『人生の最期について考えてみませんか?』です。

複雑で困難な延命治療が行われる中で、
"自分らしく生きるってどんなことなのか、
そのために『どのような医療や介護を受けたい』のか、一緒に考えましょう。

ご興味のある方はどなたでもご参加できます。
当日参加も大歓迎です。
お待ちしております。

2013年2月6日水曜日

緩和ケア基礎研修会レポート

平成20年からスタートした緩和ケア継続教育プログラム

『PEACEプロジェクト』 http://www.jspm-peace.jp




当院でも毎年1回のペースでこの研修会を開催しています。5回目の開催となった今回(1/19-20)は、30名を超える方々にご参加をいただきました。


この研修会では、医師、看護師、薬剤師、セラピスト、ソーシャルワーカー、栄養士等々、バラエティに富んだ職種の方々が2日間かけて、主に身体症状、精神症状、地域連携について学びます。

形式として、ワークショップやロールプレイのセッションが多く、参加者の皆さんが積極的に意見を出し合うのも一つの特徴です。



さて、『緩和ケア』という言葉を聞くと『がん』を連想してしまう方も少なくないと思いますが、当院の研修会には、なぜか毎年必ず『普段はあまりがんを診ない』診療科からの参加があります。


これは病院全体で『疾患に拠らない緩和ケア』を実践しているあらわれであり、当然のニーズだと考えています。


今年も腫瘍内科や産婦人科の他、脳外科や感染症科、腎臓高血圧内科、家庭医診療科、麻酔科、歯科などたくさんの科からご参加をいただきました。


運営面においても今年はあらたな収穫がありました。

今回はいつもお世話になっている、君津中央病院の清水わか子先生に、『ロールプレイ』のセッションを担当していただきました。進行に関して事前に何度もメールでやりとりを行い、結果、グループ毎の職種、経験に応じた導入・設定をしていただきました。おかげで参加者からは好評のコメントをたくさん頂きました。細やかな配慮は企画側にとっても大変勉強になりました。


















他にも院外講師として山武医療センターの篠原靖志先生、千葉労災病院の安川朋久先生、三井記念病院の廣橋猛先生にファシリテーションをしていただきました。各々の病院でご活躍されている先生を迎えてのセッションは、参加者や我々にとって、非常によい刺激になりました。













終了後の感想では、

『緩和ケアと聞いて、てっきり薬の使い方を教わると思ってきたが、それ以外にもチーム医療やコミュニケーションの大切さを痛感した』

『自分が普段いろんな方々に助けられながら診療していることを実感した』

という言葉も頂き、企画側としては肩の荷が下りた気がしました。

この研修会を通して、病院内、さらにこの地域全体の緩和ケアの環境が少しでも良くなることを願って、来年に向けてしっかりと準備をしていきたいと思います。